授業のなかで「ほんとの歴史」を語ってみたいと思い、書き溜めていたものがあります。途中で教壇を離れてしまい、そのチャンスを失いました。このたび、「話し言葉」に書き改めて<西村センセの「日本史」ほんとの話>と題し、平岸高校同窓会のホームページに掲載させていただくことになりました。ご承諾いただきました同窓会幹事の皆様に厚く感謝申し上げます。
題名を「ほんとの話」としたのは、授業の内容が虚偽であったということではありません。歴史とは過去を題材にしながら現代の視点から叙述するものです。時代の推移や現在への関心が変化したり、科学が発達したりすることによって歴史の見方は変わります。歴史は生き物のように変化するものです。一方で、変化するからといって史料から離れた叙述は許されません。書かれた(残された)史料を正しくかつ多方面から吟味することが求められます。また、人間による叙述である以上、その人の視点から逃れることはできません。よって、どのような視点から歴史を見るかが厳しく問われます。
また、E.H.カーは、『歴史とは何か』のなかで「歴史は、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのであります。」と述べています。この言葉は多くの歴史家に取り上げられてきた、普遍の認識だと思います。歴史は現在と過去のキャッチボールでもあります。
歴史とは、資料の発見や考え方などの変化に対応して生き物のように変化するものです。しかし、「本当の歴史」や「歴史の真実」という表現には、その変化のことを、本当は「こうだったのだよ」といっているように感じられることがあります。私が「本当の話」ではなく「ほんとの話」としたのは、歴史を勝手に書き換えることではなく、史料や研究に基づいて「なぜこうなったのか」を根拠をもって表現することを意味しています。
さて、みなさんが学んだ高校の教科書では、過程の記述がなく結果のみが並んでいます。残念ながらそれは当然のことでもあります。「ほんとの歴史」を語ったら、縄文時代までで1年が過ぎてしまうでしょうから。だからこそ、吟味された結果を羅列しただけのものが教科書には記述されているのです。これを「ほんとの歴史」にするのは、各先生に任されているわけです。
私は、歴史の学習が暗記中心だということ、また、受験があるから勉強するのだということを否定しません。英語の単語や構文を覚えていなければ英語の学習は成り立たないでしょう。それと同じように、歴史用語を覚えていなければ歴史理解への道は遠いのです。限られた時間のなかで「ほんとの歴史」を理解するためには、単なる暗記に留まらず、研究の過程や記述の根拠も含めた歴史を学んでみることが大切だと考えています。
「ほんとの歴史」はダイナミックな構造をしています。みなさんと一緒に味わってみたかった。当時の力量ではかなわなかった夢です。こんな思いから、書き溜めていたことがらを、人生の集大成として、教え子である皆さんに披露したいと考えました。
同窓会主催の「昔の先生の授業を聞く会」でお話しする機会をいただき、そのうちのひとつを「北海道にも古墳があった」というテーマでお話しさせていただきました。その記録を連載いたします。西村流の「ほんとの歴史」を味わってみてください。
最後に、私の夢をかなえてくださった同窓会の皆様に改めて感謝申し上げ、連載を開始いたします。
2025.12.1
平岸高校元教員 西村 喜憲
第一回